「就職先なんてどこにもない」3つの理由
前回のブログで書いた通り、
音大・美大・芸大に行ったところで、就職先なんてどこにもない
というのが私の個人的な見解です。
私自身、音楽大学・美術大学・芸術大学に行った事はないですが、
そういう大学に行った人が就職活動でどうなったかは少なからず見てきました。
「就職先なんてどこにもない」というのは簡単にまとめ過ぎましたが、
本当は以下の3つに分かれます。
・就職先そのものが少ない
・就職先の門が狭い
・そもそも大学から卒業を認定してもらえるか
就職先そのものが少ない
まず就職先を考えてみると、
音大は音楽学校の教師、楽曲系エンジニア
芸大・美大はデザイナー
といったところでしょうか。
しかし別に世界にそれがなくても、私達は生活をする事が出来ます。
音楽や芸術品というのは趣向品・贅沢品と言われるもので、そこにお金を出してくれる人には限りがあります。
だからそれを提供する企業や場所が多過ぎても良くないのです。
以前、芸大に行っていた知り合いの子は美術館への就職が決まりましたが、美術館の給料では食べていけないので副業をやっています。
美術館って世の中にそんなにたくさんあるわけではありませんし、
美術館がなくても私達は生活に困りません。
就職先の門が狭い
これも先程と同じで、お金を出してくれる人は限られているし、
その少ないキャパの取り合いになるから、
より能力の高い人しか採用されません。
一時期、スマホのカードゲーム開発においてデザイナーの需要が高まりましたが、
ガチャ規制によってそれも少なくなりました。
「絵を描く」という技術しか持たないデザイナーだけを雇える企業というのは今ではなかなか少ないのではないでしょうか。
例えばHTMLでホームページの設計を出来る、などの複数の技術を持っていないとデザイナーとして採用されるのは難しいでしょう。
そもそも大学から卒業を認定してもらえるか
以前勤めた会社にインターンで来てた音大4年生が、
ピアノ科で4年学んだけど、最後の課題曲が弾けなくて、卒業の認定をもらえなかった、
というオチで就職活動にすら辿り着けなかったというのを見ました。
普通の卒業論文、卒業研究といった類のものも、芸術系の大学になってくると特殊です。
就職に役立つ内容を教わっているわけでもなく、卒業の認定ももらえないとは皮肉なものです。
就職するための技術を教えるのが大学ではないのでしょうか?
勉強させてもらう事は贅沢だ
好きな事、得意な事を職業に出来るのは幸せな事ですし、そのための勉強もしたいでしょう。
しかし以前、林修先生が
「勉強させてもらう事は贅沢だ」
と言っていました。
このブログでも、日本は何でもあって便利な一方で、
東南アジアでは英語が出来ないと仕事すらもらえないから勉強するという事を書きました。
仕事はお金を稼ぐために必要で、勉強は仕事を得るためにするものだという事をあらためて再認識する必要があります。
途中で諦めても茨の道
では好きな事を仕事にするのを諦めて、どこでもいいから就職先を探そうとしても、それも茨の道です。
音大・美大・芸大では、普通の業務で使うような技術は教えてくれませんから。
前述のインターンで来てた音大生も、Word、Excelの使い方すら知りませんでした。
わざわざそこから教えなきゃいけない学生を採用するメリットは「若い」というブランド価値以外は特にありません。
私から言わせれば、大学で4年間好きな事で遊んできた人よりも、
専門学校で半年間みっちり勉強してきた人の方が戦力になります。
あとは余談ですが、私は大学に行っていません、重要な事は学歴ではなく能力です。
そもそもアプローチが逆方向
社会から求められているものを提供するのが仕事ですが、
芸術品は
「良いと思ったらお金を出してくれ」
という、自分を社会に売り込むものなので、
まったくの逆方向のアプローチです。
よほどのセンスと自信がなければ、その業界で食べていく事なんて出来ませんよ。